
「健康で文化的な最低限度の生活」 —— 憲法25条が掲げるこの言葉は、医療・介護の現場で働く私たちにとって決して他人事ではありません。生活保護制度をはじめとする社会保障は、この理念を具体化した仕組みですが、現実には生活保護基準より低い生活水準で暮らす人が少なくないことや、「生存権」が本当にどこまで守られているのか疑問を抱く声も増えています。
介護関係者やケアマネジャーにとって、利用者の生活が憲法の求める水準に達しているかどうかは、日々向き合う重要な判断材料です。本記事では、憲法25条が誕生した背景、法的な意味、生活保護との関係、そして現実の介護現場で見えてくる最低限度の生活の難しさについて、制度と現場の両面から詳しく解説していきます。
このページの目次
憲法25条が定める「生存権」の基本的な意味
第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
引用:日本国憲法
日本国憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めています。この条文は、単に「生きること」を保障するだけではなく、人間として尊厳をもって暮らすために必要な生活水準を国家が保障しなければならないという理念を示しています。戦後の混乱の中で、極端な貧困が社会全体を弱めるという反省を踏まえ、国家が生活の安定を支える役割を明確にした点に価値があります。
憲法25条は、食糧不足で明日をも知れない戦後の社会状況を背景に制定されました。個人の努力だけでは生活を守れない状況が全国で広がり、国家が最低限の生活を保障しなければ社会が持続しないという考えが強く共有されていたためです。生存権は、日本社会が「弱者を救済する」のではなく、「社会全体の基盤を守るために必要な制度」として生まれました。
「健康で文化的な最低限度の生活」は義務?
- 国民は 最低限度の生活を求める権利(生存権) を持つ
- 国は 社会保障制度を整備し、国民の生活を守る義務 を負う
という構造になっています。国民に「健康で文化的な生活をしなさい」という義務が課されているわけではありません。
「健康で文化的な最低限度の生活」はどこまでを指すのか
「健康で文化的な最低限度の生活」というこの文言は非常に抽象的ですが、具体的な基準の1つが生活保護制度です。生活保護は、国が考える最低限度の生活費を金額として可視化した制度であり、実質的に憲法25条を実現するための「下限ライン」と位置付けられています。
ただし現実には、生活保護基準より低い生活状況でも制度を利用していない人が多数存在します。収入が少なくても制度を知らない、利用に抵抗を感じる、日本の福祉制度に対する偏見が根強いなどの理由で、憲法が保障する水準を下回った生活を続けざるを得ない人が少なくありません。
「健康」とは病気を治療できることや衛生的な住環境を維持できること、「文化的」とは情報や教育、家族・地域とのつながりなど人間としての尊厳を保つ最低限の活動に参加できることを指します。食事や住まいだけではなく、社会から孤立しないことも含まれている点が現代的な理解として重要です。
生活保護と生存権の関係性
生活保護制度は憲法25条の具体化とされていますが、制度の利用には申請、資産要件、扶養照会など複数のハードルがあります。制度を利用できず、生活保護基準を大きく下回る生活をしている人が一定数存在する現実は、生存権が実際には「必ずしも完全に保障されているわけではない」ことを示しています。
福祉の現場では、生活保護の対象外だが生活保護基準以下の生活を続ける高齢者や、ギリギリの生活費で介護を受けるために通院を諦める人など、制度の狭間で悩むケースが多くあります。生存権が理念として存在しても、現場ではその理念を十分に享受できていない利用者がいることを理解する必要があります。
健康で文化的な最低限度の生活の具体例
健康で文化的な最低限度の生活の具体的な生活内容として、厚生労働省が定める生活保護基準は大きな参考になります。
食費、住居、光熱費、衣服代、医療費など、生活を成り立たせるための最低限の支出が基準化されており、これは現代社会における生活水準の最低ラインを示していると言えます。
ただし、実際の生活には個別性があります。在宅介護が必要な高齢者、難病患者、単身高齢者など、同じ「最低限度」でも必要な支援は大きく異なります。たとえば、要介護状態にある人が安心して生活するためには、食事が取れるだけでは不十分であり、適切な介護サービス、医療との連携、夜間の安全確保などが必要です。
文化的な生活とは、単なる生存ではなく「人生を継続するための環境」が維持されることを意味します。
「弱者が得をしているのでは?」という疑問にどう向き合うか
近年、SNSやメディアでは「生活保護ばかり優遇されているのでは」「税金で支える仕組みが公平なのか」といった意見も見られます。しかし、憲法25条の目的は「弱者を甘やかす」ことではなく、「社会全体の安定」を維持することにあります。
極端な貧困は犯罪や孤立を生み、社会全体の損失につながるため、国として最低限度の生活を守る仕組みは必要不可欠です。
一方で、生活保護より低い水準で働いている人が存在する現実は、制度への不公平感や不満が生じる理由にもなります。生存権の理念と現実とのギャップを埋めるためには、働く人が報われる社会保障制度の再設計や、就労支援の強化、医療・介護との連携強化など包括的な見直しが求められます。
介護・医療の現場から見える生存権の課題
介護や医療現場では、生存権の理念と現場の実態の間に差があることを感じる場面が多くあります。
生活保護を利用している人は医療扶助により医療機関の窓口での自己負担がなく医療を受けられるため、通常だと高額になるような高度な医療を受けているのに対し、自己負担が発生する人たちは金銭的な面で医療をあきらめるという現実。
生活保護含む住民税非課税世帯や低所得であるために、介護施設の負担限度額が低く金銭的な負担が少ないためにお金のことを考えずに施設を選べるのに対し、ちょっとだけ所得があるというだけで負担限度額認定に該当せず、自己負担が高くて入所先が選べない高齢者。介護を受ける時も、生活保護の介護扶助で介護券が発行されて自分では支払わないでよいので、生存権の保障の線引きがずれてきているのではないかという気持ちにもなります。
ケアマネジャーは、利用者が「健康で文化的な最低限度の生活」に近づけるよう、必要な制度の紹介、サービスの調整、医療との連携など多面的な支援が求められますが、このようなゆがみがある中でモヤモヤしながら支援している状況です。
憲法25条が示す「最低限度の生活」はどこまで保障されるべきか
生存権はあくまで「国家が最低限を保障する」ことを求めるものです。つまり、すべての個別ニーズが満たされるわけではなく、「生命の維持と尊厳ある生活」の最低ラインを守ることが国家の役割となります。ただし、社会や家族のあり方が多様化する現代において、最低限度の生活の基準は時代と共に変化します。
介護人材不足、医療費増大、年金制度の限界が指摘される今、憲法の理念を現代的にどう再解釈し、維持していくかが問われています。生存権は過去の理念ではなく、今の社会そのものを支える根本原理であり、介護や医療に携わる専門職が理解しておくべき重要な視点です。





