介護施設やヘルパー職員への心付け 日本文化とマニュアル化
 

介護業界の多くの施設・事業者では心付けの受け取りは厳禁になっており、そうはいっても「困ります」など言いながらも受け取るケースもあります。日本人は贈り物で感謝や繋がりを確かめる文化があり、海外で言うチップのようなものをきれいな袋に包んだりして心付けとして渡したりし、金銭トラブルになることもあります。

サービスの価値や感謝を表すお心付けとチップ

日本人にとっては馴染みのない習慣「チップ」は、アメリカではごく普通の習慣。
食事、ホテルなど、あらゆるサービス業の賃金が低く設定されている代わりに、直接従業員にチップを渡すそうだ。

日本では、お金と言うものは「相手がいる前で見せてはいけないもの」

良くわからないけど、お年玉でもなんでもそれなりの袋に包んで人様に渡さなければ非礼であるとされる。勝手に想像すると、定価がないものに対してお金を渡すときは「お金=気持ち」なので、金額じゃない、金額を気にするのは礼儀がないということなんじゃないかと思う。
まず、お金は「価値(信用)」を数値化したモノだ。

資本主義社会では、すべての価値あるものは、通貨で換算し取引というルール

物も、人の労働も、土地も、家も、食べ物も、宝石も、石油も、あらゆるサービスも・・・すべてお金で換算しちゃって取引しよう!というものだ。
その中で、だれかにとって価値を生み続けるモノを「資産」と言い、それらを一杯持っている人が裕福になれるように設計された世界だった。
たしかに日本でも昔からお金というものは存在していたが、まず定価というものがイマイチ定まってなかったし、物々交換もできたし、取引やサービスのようなものを提供するときには、情を含んでやり取りができた。
「あんた美人だからまけちゃうよ!」とか「お父さんが病気で大変だからサービスだよ!」とか、現在ではかなり難しい。
現在の社会が息苦しいのは、この部分が大きい。
 

運営の円滑化のために例外を減らしマニュアル化で感謝や情の行き来がなくなる

今の社会はどうだろう。海外では冒頭で述べたチップが、この「感謝」や「情」を伝える役割を果たしていると考えられる。
日本では、チップというものが採用できない。それは、お金は包んで渡すという風習があらわすように、裸で渡すと非礼なものであるから。
しかし、現代の経済で価値を一番信用ある形で表すとお金なのだ。お金は信用という一面も持っている。
マニュアル的には、仕事上金品を受け取ることはNGで、当然良いか悪いかと問われたらダメということになる。
ただ、地方や文化によっては自分の家でとれた野菜を持ってきてくれる人や、冬にはみかん、夏にはスイカを持ってきてくれるような人はいて、それを心付けと判断するかは難しい。
例外を作るとマニュアルの意味がなくなり、例外を認めないと非常にゆとりのない対応になる。

心付けは、あなたを信用している、私の感謝の気持ちも信用してくれ

つまり、日本のお心付け・海外で言うチップは『あなたを信用している、私の感謝の気持ちも信用してくれ』という意味があると考えている。
なんでお年玉をあげるのか-。
子どもとその親の信用、そして自分を親しきものとして信用してくれ ということの表れだろう。
ご仏前-。
仏になっちまったお方、そしてその子孫への信用、私はこれからも親しき間柄でいるから信用してくれ。
日本人は、このようなお金や物(のし紙や綺麗な包装をした)をプレゼントしあって人と人との絆や繋がりの継続を再確認したり、構築したりしていくんだ。
お心添えというものを断られると、心から落ち込んでしまったり、悩んでしまったりする人もいる。
こう考えると、一概にお心添えが悪いものかわからない。

心付けの最終判断は責任者、それぞれの介護の職場のマニュアルに従って

介護現場での心付けは良い悪いは職場のマニュアルに従う必要がある。
地域に根差したなんちゃら という事業では、関係性を築く上で、このようなやり取りは避けてはならないものかもしれない。
ただ、もらったもらわないで差別するのはいけない業種はある。
人間って、仲良くしたい人にはプレゼントしちゃうしなぁ。人によっては貢ぐしなぁ。そういう生き物なんだなぁ。