公平と平等、定義の違いとは?福祉の不公平感を感じる理由
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介護保険制度や医療制度の現場において、「公平」や「平等」という言葉は日常的に飛び交います。しかし、その言葉が指す意味を深く掘り下げて考える機会は少ないのではないでしょうか。

現在、少子高齢化が加速する日本社会において、この二つの概念を取り巻く環境は大きく揺らいでいます。

「現役世代が多額の社会保険料を負担し、それを高齢世代が消費しているだけではないか」。

こうした厳しい指摘や不公平感は、もはや一部の声ではなく、社会全体の切実な問いとなりつつあります。

なぜ、福祉の現場でこれほどまでに不公平感が募るのでしょうか。それは単なる世代間の対立感情だけが原因ではなく、高度経済成長期に作られた「制度の構造」そのものが、現代の人口バランスや経済実態(資産と所得の乖離など)に追いついていないことに起因しています。

この記事では、まず「公平」と「平等」の定義の違いを整理した上で、なぜ今、福祉分野で不平等感が強まっているのかを深掘りします。金銭的な負担の問題だけでなく、地域によるアクセス格差や私たち専門職の視点も含め、社会構造的な背景からこれからの社会保障のあり方を考察します。

公平と平等の定義の違いと、社会保障における「二つの公平」

介護や医療の現場において、公平と平等は似て非なる概念として扱われます。

「平等(Equality)」は、全ての人に同じものを同じ条件で与えることを指します。

「公平(Equity)」は、個々の置かれた状況やニーズの違いを考慮し、結果として公正になるように調整することを指します。

公平と平等の定義の違いを表すイラスト

平等(Equality)

すべての人を同じ条件・同じ基準で扱うことを意味します。
能力・状況・立場の違いを考慮せず、形式的に同一の権利や義務、機会を与える考え方です。

公平(Equity)

人それぞれの状況・必要性・不利な条件を考慮し、結果や機会が適切になるよう調整することを意味します。
同じ扱いではなく、差を設けることで全体のバランスを取ろうとする考え方です。

例えば、階段しかない入口にスロープを設置することは、車椅子利用者にとっての公平性を担保する措置ですが、健常者と同じ階段を使わせることは形式的な平等であっても公平とは言えません。

さらに社会保障の議論では、公平さを二つの視点で捉えることが重要です。

一つは、等しい状況にある人を等しく扱う「水平的公平」です。同じ所得であれば同じ税や保険料を負担するという考え方です。

もう一つは、異なる状況にある人を異なって扱う「垂直的公平」です。所得が高い人ほど多く負担し、困窮している人ほど手厚い支援を受けるという、いわゆる所得再配分機能がこれに当たります。

日本の福祉制度は、この水平と垂直のバランスを複雑に組み合わせることで成り立っていますが、近年はこのバランスが崩れているのではないかという指摘が増えています。

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日本と海外の意識差、そして制度疲労が生む不公平感

公平や平等の概念自体に国境による大きな定義の違いはありませんが、社会が「何を重視するか」には明確な違いがあります。

例えば北欧諸国などでは高負担・高福祉を受け入れ、結果の平等を重視する傾向があります。

一方でアメリカなどは機会の平等を重視し、自己責任論が強い傾向にあります。

日本はその中間に位置し、国民皆保険という強力な平等の仕組みを持ちながら、経済成長期に作られたモデルを維持しようとしています。

「現役世代が多く、高齢者が少ない」ピラミッド型の人口構造では機能していた制度が、少子高齢化によって維持困難になっている

しかし、ここに現代特有の不公平感が生まれます。

かつてのような「現役世代が多く、高齢者が少ない」ピラミッド型の人口構造では機能していた制度が、少子高齢化によって維持困難になっているからです。特に若年層が感じる不公平感の正体は、自分が支払う保険料が将来の自分のための積立ではなく、現在の高齢者を支えるために即座に使われてしまう「賦課方式」への不安です。払った分だけ将来返ってくる確証が持てないまま、負担だけが増え続ける現状に対し、制度的な不公平を感じるのは経済合理性から見て当然の反応とも言えます。

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なぜ福祉の現場で不公平や不平等が際立つのか

医療や介護は、生命や尊厳に直結する分野であるため、他のサービス以上に公平性が厳しく問われます。ここで問題となるのが、制度上の公平と心理的な納得感のズレです。例えば、同じ病室にいる患者同士でも、年齢によって医療費の自己負担割合が1割の人と3割の人がいます。制度設計としては垂直的公平に基づいた合理的なものですが、現場で「同じ治療を受けているのになぜ」という素朴な疑問が生じることは避けられません。

さらに深い問題として、現在の制度が「資産」ではなく「所得」をベースに負担を決めている点が挙げられます。

例えば、多額の資産を持っていても年金収入が少ない高齢者は低い負担で済みますが、資産形成途上でカツカツの現役世代が高い保険料を払うという逆転現象が起きています。これは世代間の不公平感だけでなく、同じ世代内での不公平感をも助長しています。

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「住む場所」と「知識」による見えない不平等

制度上の負担割合以外にも、現場には見過ごされがちな「機会の不平等」が存在します。その代表例が地域格差です。

都市部は医療機関が充実していますが、介護施設や用地が不足しており、逆に入居待ちが深刻化しています。一方で過疎地域は、施設に空きがあっても医療アクセスが悪かったり、訪問系サービスの事業所が撤退してしまったりと、住んでいる場所によって受けられる福祉サービスの質と量に圧倒的な差が生じています。

保険料は全国どこでも徴収されますが、サービスの享受には地域間で大きな偏りがあるのです。ただしこれは平等の観点から考えれば、地方ほど家賃や物価などが安く、どこに居住するかの自由も保証されている中で自分で選択してその場にいるということなので、医療や介護へのアクセスという面だけ捉えれば不公平と感じる人もいると思いますが、別の部分ではメリットを享受しているので難しいところです。

また、複雑すぎる制度が招く「情報格差」も深刻です。申請主義を採用している日本の福祉では、制度を知っている人だけが得をし、情報を得られない社会的弱者などが、本来受けられるはずの支援から漏れてしまうケースが多発しています。これは、制度自体は平等に用意されていても、そこへアクセスする「機会」において不公平が生じている状態と言えます。ただし、この情報格差についても、今の時代は生活保護であってもスマホで通信することくらいは保証されていて、多くの人が情報へのアクセスができるようになった中で、自分から制度のことを調べずに受け身になっている状況を自分で作っているならば、それが不公平であるのかは難しいところです。

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「支える側」である専門職が感じる不公平感

これまでは利用者や納税者の視点で語られがちでしたが、忘れてはならないのが、現場で働く介護・医療従事者自身が感じる不公平感です。他産業と比較して、専門性や身体的・精神的負担の大きさに比して賃金水準が低いという問題は長年指摘されています。これは産業間における「水平的公平(同じ価値の労働には同じ対価)」が達成されていない状態とも捉えられます。

「やりがい」という言葉でこうした不均衡が覆い隠されてしまうと、支える側の疲弊や離職を招き、結果としてサービスの質が低下し、利用者にとっても不利益となります。福祉における公平・平等の議論では、利用者間の負担バランスだけでなく、サービスを提供する労働者の待遇がいかに「他産業と比べて公平か」という視点も、持続可能な制度のためには欠かせない要素です。

ただし、この職業と給与の問題についても、職業選択の自由が保証されている中で、自らその職業を選んでいるため、給与の面で不公平感はあっても平等ではあるわけです。

公平という言葉を用いる時は、どの目的を達成するかによって公平の答えは変わってしまいます。

1つの視点にフォーカスを当てて不公平だと叫ぶときは、その他の人が考えている不公平をしっかりと理解してからでないと、結局はただ対立を生む

介護や医療の専門職の「給料は公平なのか」と問えば、給料が不公平なので補助を出さないといけない、屋外で建設の仕事をしている人は暑い日も寒い日も雨風をしのげない中で働いているがそれは労働環境として公平なのかと問えば、労働環境が不公平なので給与が高く設定されている・・・など、ある程度の均衡が取れているものです。

1つの視点にフォーカスを当てて不公平だと叫ぶときは、その他の人が考えている不公平をしっかりと理解してからでないと、結局はただ対立を生むだけです。

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次世代のためにどこを見直すべきか、社会構造の再定義

では、全ての世代や属性の人が納得できる社会にするためにはどうすればよいのでしょうか。精神論や理解を求めるだけでは解決しません。重要なのは「年齢による区分」から「負担能力による区分」への抜本的な転換です。高齢者だから安く、若者だから高く、という年齢一律の線引きを見直し、金融資産なども含めた真の経済力に応じて負担を求める「全世代型社会保障」の確立が急務です。

また、現役世代の納得感を高めるためには、社会保障の給付が「高齢者向け」に偏りすぎている現状を見直し、子育て支援や現役世代のリスキリング、予防医療といった「未来への投資」にも配分をシフトする必要があります。公平とは固定されたものではなく、社会の変化に合わせて常に調整し続けるべき概念です。私たち福祉に関わる専門職も、目の前の利用者を支えるだけでなく、制度が抱えるこうした構造的な課題を直視し、感情的な対立を煽るのではなく建設的な議論へと繋げていく視座が求められています。

 

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